今年は昭和100年の節目の年でした。そんな節目の年に、市民の皆さんに福生のことを知っていただく機会をつくることができればと思い、本特集号を企画しました。100年の歴史の中で、福生はさまざまな変化を遂げてきました。
今回は、その中から市制が施行された昭和45年ごろからの福生の変化等を紹介します。
■市制施行、町から市へ
◆3万人市制施行第1号
当時の法律で市制施行には、人口5万人という規定がありました。しかし、合併による場合は3万人でも市制施行ができる特例があったものの、合併を行っていない当時の福生町などは3万人での市制施行を強く望んでいました。そこで現在の北海道登別(のぼりべつ)市や滋賀県守山(もりやま)市、福生市などが中心となって国へ要望活動を行い、昭和45年に法律の一部改正が行われ、人口3万人以上で市制施行が可能に。福生町はその第1号として、人口38,749人、世帯数11,631戸をもって福生市となりました。
◆市のシンボル
皆さんは市のシンボルをご存じですか?現在の市のシンボルの起源や意味を紹介します。
◇市章
市章は、ひらがなの「ふ」を図案化したもので、鳥のように大きく羽ばたく姿と、市民の円満・和合を表しています。町制施行20周年事業の一環で、昭和35年に町章として一般公募で決定され、市制施行後も市章として引き継がれました。市の将来の発展(雄飛)と市民の融和を象徴しています。
◇市の木・花・鳥
市の木・花は、緑化運動に対する市民意識の高揚を願い、昭和46年12月に市民投票により市の木「モクセイ」、市の花「ツツジ」に制定されました。当時、市の木はモクセイ、トウカエデ、クヌギの3種類が候補となり、市の花はツツジ、福寿草、アジサイの3種類が候補でした。
また、市の鳥は自然の保全・緑化の推進を図るために、平成2年7月(市制20周年記念)に制定されました。市の鳥の候補は、シジュウカラ、カワラヒワ、キセキレイ、ジョウビタキ、カワセミの5種類でした。市の木・花と同様に市民投票により決定しました。
■人口・商業の変化とまちなみ
◆人口・外国人比率の変化
◇人口5万人突破
高度経済成長期の人口流入による郊外のベッドタウン化などもあり、福生市の人口は増加を続け、昭和58年に5万人を超えました。平成に入ってからも人口は増加し、平成3年に6万人を超え、平成14年にピークの62,527人まで増加しました。現在は56,927人(令和7年12月1日現在)となっています。
◇外国人比率の増加
市制が施行されたころは、現在に比べると外国人比率はそれほど高くなく、総人口の約2%ほど。また国籍割合の内訳で見ると、韓国やアメリカが約70%を占め、国籍数もそれほど多くはありませんでした。
外国人人口が大幅に増加を始めたのは、平成に入り世界各国から日本へさまざまな目的で外国人が入国するようになったことがきっかけです。福生市には昔から多文化なコミュニティが存在していたこともあり、数多くの外国人が移住してきました。
現在の福生市の外国人比率は約9%、また国籍の割合も大きく変化し、ベトナムやネパール、中国などが多く、約70の国と地域の方が在住(令和7年12月1日現在)し、都内26市のうち最も高い比率となっています。横田基地に住んでいる方はこの数字には含まれていないことを考えると福生のまちの中には、数字以上に多くの外国人が生活しており、いかに福生が多文化なまちかが分かります。
◆福生駅周辺の発展・変化
昭和時代になると、明治・大正時代に福生の産業を支えた製糸業に変わり、飲食業が増加していきました。それに伴い福生駅周辺は商店街などが形成され、昭和30年に三多摩地区では初めての商店街協同組合が、昭和36年には福生町商工会が創設されました。
その後、昭和33年10月に西多摩地区初となるスーパーマーケットマルフジが福生駅西口にでき、翌年には西口商店街に3階建ての百貨店が開店するなど、西多摩地域の商業の中心として発展していきました。
昭和48年6月には西友ストアが、11月には長崎屋が開店するなど駅周辺は大きく変化。それまでは福生駅西口の商店街が買い物客の中核的存在でしたが、西友ストアの開店は東口の発展のきっかけとなりました。昭和61年に橋上(きょうじょう)駅舎・自由橋が竣工(しゅんこう)し、駅前はますます大きな発展を遂げていきました。
